鬼滅の刃から考察する鬼殺隊隊士の弔い方考察
日本映画史上最速で興行収入300億円を突破した映画鬼滅の刃無限列車篇。そして先日12月28日に、興行収入が、公開から73日間で324億円に達し、平成13年に公開された「千と千尋の神隠し」の316億円を抜いて、国内で上映された映画の歴代1位になったというニュースが日本中を駆け巡りました。えにしスタッフも単行本23巻まで読破し、映画も観に行きました。
さて、鬼滅の刃の舞台は大正時代。そしてエリア的には東京近郊を舞台にしている話で間違いないと考えます。(公式ファンブックだと、竈門炭治郎の家が大体東京府 奥多摩郡 雲取山付近と出ていますし、そのあとに少女が消える事件で炭治郎が向かった北西の街の場所というのが浅草近辺、ほとんどの隊士が東京府出身というところから。間違ってたらごめんなさい)
そうなると、たくさんの鬼殺隊員や一般の方々が命を落としてるわけなので、その弔い方が非常に気になるのです。本編でもお墓は出てきますがどう弔っているかまでは、大正コソコソ噂話にも出てきませんので、勝手に考察をしてみようと思います。
まず、大正時代近辺だと、告別式を行う文化が始まっています。また、東京や京都といった都市圏になってくると、伝染病防止の観点から、火葬も割と一般的(大体6割くらい)になります。
炭治郎が実家で家族を弔うシーンや鼓屋敷で殺された人たちを弔うシーンの時は炭治郎たちは土葬をしています。エリア的には山間部という事もあり、土葬も確かにあるかとは思います。しかし、それ以外都市部というか人が多い地域になると今の一般的なお墓が基本となります。映画最初あたりのお館様のシーンや、最終話で炭治郎たちが家に帰る前に墓参りしているシーンがありますが、大体今のお墓と同じ感じであります。
さて、じゃあ殺された隊士やそれこそ煉獄さんなど柱の方々はどう弔われたのか?ちょっと考えてみたいと思います。
まず、基本的には隠のみなさんたちがあれこれ手配をするかと思います。当時でも人夫をあれこれ手配するのは葬儀屋の役割でもあったので、まずは彼らが動いたのではないかと考えます。そして棺桶に関しては今の一般的な寝棺ではなく当時一般的だった座棺が使われたと考えられます。
座棺に遺体を収め、お寺もしくはお屋敷で告別式を行い(おそらく合同葬みたいな感じでしょうか)その後、火葬・収骨・埋葬というそれこそ現在と同じような流れで弔ったのではないかと思います。
大正あたりだと、それこそ「野辺の送り」みたいな葬列が描かれるかと思いますが、そもそも都市部だとそういう葬列を禁止される動きもあったし、鬼殺隊自体が政府非公認組織だったことも考えると、葬列は作ってやってはいなかったんだろうと考えるのが妥当かなと思います。
そう考えると、鬼滅の刃の中で隊士を弔うとどうなるかと考察すると、案外、現代の葬儀の形とほぼ変わらないのではないか?という考えに至りました。
もっと深い考察もできますが、今日はこのくらいで。
2021年も、えにしをよろしくお願いいたします。